
この物語は解体寸前の古民家がギャラリーに生まれ変わるお話です。
「田主丸のぎゃらりー」は「ギャラリー福」として2002/11/1にOPENしました。
「ギャラリー福」のホームページはこちら
↓
http://www.ne.jp/asahi/gallery/fuku/
ここは田主丸。筑後の国と呼ばれていたころから植木の街である。
また、果樹園の街でもある。
特に夏から秋にかけてぶどう狩り、柿狩りで賑わう。
耳納山(通称屏風山)の北斜面の麓にあり、少し上がれば筑後川がつくった筑後平野が見渡せる。
吾輩はこんなところで生まれた。
が年齢は不明である。
百年以上は過ぎている、いや二百年?は過ぎているという人もいるが定かでない。
とにかくこのあたりでは一番長生きしているらしい。
自分のことぐらいしっかり覚えておけと云われそうだが
吾輩は一度空家になって眠ると記憶を失うらしいのである。
じつは吾輩は危機一髪のところで救われたのである。
吾輩は眠ったまま葬り去られるところだったのである。
不動産屋さんは吾輩を処分し更地にした土地を売ろうとしていた。
今の吾輩の主人とムラさんが見に来たときは庭木はすでに一本も無かったのである。
裏の畑もきれいに整地されていた。
あとは吾輩の解体のみになっていたのである。
今の主人は吾輩の命の恩人である。
もちろんムラさんにも感謝している。でも主人と奥さんにはその何倍も感謝している。

かつての土間は新建材で被われ、しかもペンキが塗りたくられていた。
吾輩と同じようなことをされている同僚は全国にたくさんいる。
とムラさんが言っていたのを小耳に挟んだことがある。嘆かわしいことである。
そこに暮らしている人には何ら責任は無い。吾輩らと同じ犠牲者である。
吾輩らは呼吸が出来ず、人は有害な化学物質の中で暮らすことになり、
共に寿命を縮めることになる。
嘆かわしいことである。
何百年もの伝統を受け継いできた大工のすることだろうか。
いや、そんな仕事をする大工は大工と呼ばないのかも知れない。
大工に失礼である。
建築家と云われている人にもそんな人がいる。
「いるよな!?ムラさん。」
「・・・・・・・・・・」
予算がない。当初の予算に納まらない。土地代に遣い過ぎた。
でも土地を買って貰わないと吾輩の命はこれまでである。
そこで、塗装、足らない建具の調達、庭などの外構は吾輩の主人がすることになる。
毎度のことだが、当然言いだしっぺのムラさんも手伝うことになる。

ここで吾輩の主人を紹介します。重機に乗っている人。
少しギコチナイけど始めてにしては上手いもの。

天井を外す。鉄骨で補強した梁発見。頼りない補強の鉄骨の下に更に古材で補強する。
家の周りの犬走りの縁石。地上から10cm下から発見。まるで発掘調査。
床下に空洞発見。唯一、手を加えずに済ませるはずの座敷に。
急遽、吾輩の主人と主人の奥さん、棟梁、棟梁の奥さん、棟梁の子供たち家族全員、
もちろんムラさんも、でダンプ1車分の土を入れる。

吾輩の身体全体が開かないように入れてある梁、白蟻に食われて段ボールのようになっている。
白蟻の被害思ったよりひどい。ガン患者の手術医の気持ちがわかる。と、ムラさんつぶやく。

左の写真が撤去前。右が新しくできた玄関。
浴室、物置部分を撤去し、新しく玄関が設けられた。
撤去した小屋組みの梁を玄関の庇に活かされた。
入り口の建具はどこかの古い蔵の扉を再利用された。

張りぼての内装は全て撤去され再び土間に蘇える。
やっと呼吸が出来るようになった。
白蟻に食われたあと、雨漏りで腐ったあとなど痛々しいところも残っている。
が、「こんな仕事はもう二度としたくない」
と云いながら致命的な部分は補強してくれた棟梁に感謝しています。
「あの家はきっと喜んでいると思う。」
と、仕事を終えた帰りみち、ムラさんが棟梁に吾輩の気持ちを伝えてくれた。
吾輩はこれで完治したわけではない。大手術後の病み上がりで肌に艶がない。
黒光りした健康美をはやく取り戻したい。吾輩の健康は吾輩の主人に委ねられている。
末永く宜しくお願いします。
つづく。
初版:2002/02/01

囲炉裏の間
久しぶりにムラさん、吾輩に会いに来てくれた。
吾輩もずいぶん肌の艶がよくなった。
ひとえに今のご主人のお蔭である。
2002/06/10:追記

この「田主丸のぎゃらりー」は、
2002年11月1日
「ギャラリー福」としてOPENしました。
「ギャラリー福」のホームページはこちらです。
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http://www.ne.jp/asahi/gallery/fuku/
2002/11/29:追記
つづく。
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